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クリスマスの天使
スーザン・ファンキー

12月23日のこと、大学に通いながら、たった1人で子どもたちを育てているシングルママにとって、クリスマスはわびしいものだった。小さな家を見渡してみて、ぎゅーっとねじれるような痛みのごとく悟ったのだが、私たちは貧しかった。

小さな家にはリビングルームの隣にベッドルームが2つあったが、とても狭かった。娘のベビーベッドはかろうじて部屋に収まっていたが、息子のツインのベッドとタンスはもう一つの部屋にはみだしていた。2人を一緒の部屋に寝かせるなど無理だったので、私は毎晩、リビングルームに布団をしいて寝ていた。

家の唯一の押し入れを3人で一緒に使い、昼も夜もいつもお互い同士1メートルぐらいしか離れることはなかった。子供部屋にはドアがなかったので、四六時中、2人の姿が見えて、声が聞こえていた。おかげで、2人とも安心しているようだったし、私も、子どもたちに近く感じていた。

まだ夜の8時ごろ、雪がしんしんと降っており、子どもたちは2人とも寝ていた。私は毛布にくるまって窓際に座り、うす明かりの中、粉雪が舞うのを見ていた。その時に、誰かがドンドンと玄関のドアをたたいた。

こんな雪の降る夜に突然訪れるなんて、いったい誰だろうと、おそるおそるドアをあけた。するとそこには、知らない人たちが満面の笑顔で立っていた。腕には箱や袋を抱えている。

訳が分からなかったが、彼らの幸せそうな雰囲気に影響されて、私も彼らににっこりした。

「スーザンさんですか?」と、男性が進み出て、私に箱を差し出した。

私は声が出ず、バカみたいに何度もうなずいた。きっと、精神障害があると思われたことだろう。

「あなた宛ですよ」といって、女性が輝くほどの大きな笑みを浮かべて箱を差し出した。ポーチの灯りと背後の雪のせいで、彼女の黒髪が照らされ、まるで天使のように見えた。

彼女の差し出した箱に目を落とすと、そこには、おいしそうなスナックや、大きな七面鳥や伝統的なクリスマス・ディナーに出るようなものがいっぱい詰まっていた。この人たちが何のために来たかに気づいて圧倒され、目に涙があふれた。

ようやくまともに考えられるようになり、私は彼らを中に招き入れた。男性に続いて、2人の子どもが入ってきたが、包みの重みでよろよろしていた。その家族は自己紹介し、包みはすべて、私の小さな家族のためのプレゼントだと告げた。

この素晴らしい家族は、全く見知らぬ人だったが、どういうわけか、私たちに何が必要かを正確に知っていた。一人一人のために包んだプレゼントと、クリスマスの日のごちそう一式、それに、自分ではとても買えないような特別なものもいっぱいあった。すてきな「普通の」クリスマスを過ごす光景が頭をかけめぐる。

クリスマスの私の秘密の願いが目の前でかなえられていった。シングルマザーの必死の祈りは聞かれ、神は私のもとに天使を送ってくださったのだ。

謎に包まれた天使たちは私に白い封筒を渡し、再びにこっと笑って、一人ずつハグをくれた。メリークリスマスと言うと、来た時と同様、さっと夜の暗闇に消えていった。

驚きとともに、深く心動かされた私は、足元に置かれた箱やプレゼントをながめていると、憂鬱さの痛みが突然、子どものような喜びに変わるのが感じられた。私は泣きだしてしまった。

ものすごく泣き、心の奥底からの感謝の涙を流すと、平安が私を満たした。神の愛が、世界の片隅にいる私のところにやってきて、温かな毛布のように私を包んでくれたのがわかった。心は満たされ、私は箱の間でひざまずき、心からの感謝の祈りを捧げた。

立ちあがると、毛布にくるまって再び窓際に腰かけ、しんしんと降る雪をながめた。ふと、封筒のことを思い出し、子供みたいに封筒を破って開けると、中身を見てびっくりしてしまった。お札が床にこぼれおちた。拾い集めると5ドル札、10ドル札、20ドル札・・涙で目がかすんだが、お札を数え、さらにもう一度、合っているのか数え直した。泣くじゃくりながら、つぶやいた。「100ドル。」

私はぐっすり眠っている子どもたちを見て、涙ながらにも、本当に久しぶりに、何の心配もなく、幸せな気持ちで微笑んだ。翌日のことを考えると、微笑みが笑いに変わった。

クリスマス・イブ。見知らぬ人の訪れによって、魔法のように、みすぼらしい一日が特別な日に変わった。私たちはこの日のことを決して忘れないだろう。この幸せな思い出を。

クリスマスの天使が訪れてから数年がたち、私は再婚し、幸せな家族ができて、豊かに祝福されている。あのクリスマス以来、毎年、私たちは、恵まれない家族を選んで、その家族に、考え抜いて選んだプレゼントやお菓子や、あげられるだけのお金を持って行っている。自分たちがもらったものへの、私たちなりのお返しだ。「波及効果」を行動に移しているのだ。

このサイクルが続いていき、いつか、私たちが色々分かち合っている家族も、他の家族に与えることができるようになることを願っている。

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