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初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
―ルカ2:7(新共同訳)
宇宙の王である神は、イエスの生まれる場所として、どんな場所でも選ぶことができたはずです。では、神はどうしてまた、家畜が住まい、エサをもらうような家畜小屋という、しがない所を選ばれたのでしょうか。(洞穴、あるいは親戚の家だったという可能性もありますが。)
そこはおそらく干し草のいい香りが漂っていたことでしょう。乾燥した花や草の香りです。夏の陽光が注ぐ美しい牧草地に茂っていたものが、刈られて薄暗い家畜小屋に移されました。まるで、イエスご自身が天から地上に移されたように。日本では、昔からイグサでできた畳を床に敷き詰めることがあり、とてもいい香りがします。神もその干し草の香りを好まれたのかもしれません。また、干し草は、人生はつかの間なのだということも連想させます。
生まれたばかりのイエスは、ごくありふれた動物に囲まれていました。おそらく、ロバや鳥、牛、ヤギ、ヒツジなどでしょう。その人生においてイエスは身分の低い者たちに手を差し伸べ、ご自身に従う者たちに対しては、すべての人に福音を宣べ伝えなさいと言いました。(マルコ16:15) イエスは柔和な人や悲嘆にくれた人、売春婦、取税人、漁師、子どもたちといった、社会の底辺にある者たちに手を伸べました。道に迷った者たちを探し出して、彼らを救い、まるで荷役用の家畜のように思われていた者たちを、神の子に変えたのです。
イエスの地上の両親はといえば、つつましい大工と若き乙女でした。名高い家系に生まれてもよかっただろうに、そうはなりませんでした。30歳になるまで父親について、材木を何か役立つ物へと変える仕事をしていました。イエスは今でも、新しい人生を求めてご自身のもとにやってくる人たちを変えています。
みすぼらしい羊飼いたちが天使に導かれて、生まれたばかりのイエスを見に来ました。(ルカ2:8-12) 神は天使たちに、他の誰かを連れてこさせることもできたでしょうに。大祭司でも律法学者でも、律法の専門家やパリサイ人でも、誰か宗教的な人をそこに呼ぶことだってできましたが、そうはされませんでした。神が天使たちを送られたのは、宗教的とは程遠いと思われている人たちのもとでした。羊の番という仕事のせいで、なかなか大切な宗教儀式にも行けなかったような羊飼いです。天使が羊飼いたちを招いたのは、彼らが謙虚であり、イエスが救いをもたらそうとしていた迷える子羊であったからかもしれません。
天使は羊飼いに、この赤ん坊は単なる赤ん坊ではなく「約束された方」であり、貧しい人に良い知らせを伝え、心の打ち砕かれた人をいやし、捕らわれた人を自由にし、つながれた人を解放するようになることを告げました。(イザヤ61:1)
羊飼いたちがその場所へ行くと、若い女性がいかにも母親らしく赤ん坊の顔を静かにのぞき込んでいるのが見えました。赤ん坊に贈り物をしたという記録はありませんが、何も持たずに行ったとは思えません。おそらく、羊飼いの仕事で手に入るようなものを贈ったのでしょう。例えばミルクやチーズ、体を温める羊毛、煮込み料理を作るためのラム肉などです。現在でもイタリアの山岳地帯では、羊飼いが新生児の母親にそのようなプレゼントをもっていくそうです。
帰途についた羊飼いたちは、自分たちと同じように貧しい庶民である親から生まれた男の子が、いずれは救い主となり、天使によって平安の祝福を受けた謙虚な者や御心にかなう者をあがなって下さることを知り、大喜びでした。
神ご自身の御子、救い主なるイエスの誕生のために、神はこれにまさる場所を選ぶことはできませんでした。このようにつましい場所で生まれるとは不面目なことに見えるかもしれませんが、それは神の計画を成就するためだったのです。神は素晴らしきわざをなすために、よく神秘的な方法をお使いになります。(イザヤ55:9) その時もそうでしたし、それは今も変わりません。